幼少期の頃、辛い時間を過ごしたあなたへ

メッセージ

みなさん、どんな幼少期でしたか?

このページを見ているということは、この問いかけに、辛い記憶がよみがえった方が過半数だと思います。

その記憶がよみがえった方々へのメッセージです。

そんな記憶忘れちゃいましょう。

何故、こんなメッセージをお伝えしたかというと、もう必要ないからです。

忘れることは許すことじゃありません。

あなたのために、忘れてあげましょう。

忘れることは許すことではないです。

私もとてもつらい思いをしてきて、周りに相談もできず、何の問題もない普通の子を演じてました。誰かに相談しようものなら、必ず親に回ってきて、ひどい目に合うからです。そしてなぜか知りませんが、親が嘘ついてるのに、「子供が嘘ついてる」って言われるんですよね。子供が何言っても、なぜか「母親」という立場の人間が信頼されてしまうんです。

私の幼稚園生の頃の記憶です。

母の日に、絵を書きますよね?家に持って帰って母親に渡したら、こういわれました。

「これはね、ゴミっていうの。こんなのもらってうれしいと思っているの?もらってもなんも嬉しくないからさ。いい?プレゼントっていうのは、人がもらってうれしいものをあげるのよ。だからこれはゴミ。ゴミだからゴミ箱に捨てます。」

次の日、幼稚園で先生が「お母さん喜んでくれた?」って聞いてきたので、捨てられた話をしたら、帰宅時、幼稚園の先生は私の前で母親に言ったんです。そうしたら母親は何て言ったと思いますか?

「私はそんなこと言っていません。この子が捨てていいって言ったから捨てたんです。」

その後、帰り道では母親に「お前が余計なことを外でいうから私が責められる。」といわれ、幼稚園の先生からは「なんでそんな嘘ついたの?先生が嫌な思いしたでしょ?」と責められました。その後、先生から嫌な対応され続けたのは言うまでもありませんよね。

これは幼いころのとても悲しい記憶の一つです。

やっと文章にすることができるくらいに心が落ち着いたから、こうやって話せるようになりました。

でもその後の小学生、中学生とまだ声に出せない、言葉という形にできない苦しくて辛いことばかりです。1つや2つ、ではなく、何百個、何千個です。

あなたも、辛くて痛くて声に出せない、言葉にできない記憶が頭の中で駆け巡ってるのではないですか?

私がたどり着いた結論としましては、無理に言葉にすることないです。

聞いたことありませんか?

「言葉にして誰かに話して受け入れてもらうことで前に進める」」

 「話すことで心がすっきりするから話したほうがいい」

これは全く根も葉もないことです。

私の体験談では、言葉にして誰かに伝えるほど、心がすり減り、自分が汚されていくと思いました。

何もすっきりしないどころが、悩みが増える、その行為が「言葉にして誰かに伝えること」」でした。

たいていの人間は毒親家庭で生きていないので、毒親家庭で生まれて苦しんでいる人間の気持ちが理解できないんです。

「大人になったら親に感謝する日がくる。」

「親を悪く言うもんじゃない。」

「本当にそんな親いるの?」

定型文を返す定型型の人間たちに、いくら話したって無駄なんです。

かと言って毒親家庭に育った者同士でも理解できないことだってあるでしょう。

自分だって受け入れたくない出来事なんですから。

自分を解放する方法は、忘れてしまうことです。

その頃のあなたはもういないのです。

その記憶はあなたに、羞恥心、罪悪感、無力感などを与えてはいませんか?

その感情は全くの事実無根です。

それはあなたを形容していい言葉じゃないし、自分に与えていい感情じゃないんです。

過去の記憶が蘇るたび、あなたの体が苦しんでしまうのは本当にもったいないです。

過去の体験を思い出すたび、体の声に耳を傾けてみてください。

心臓がギュッと縮んでいませんか?

全身の血管が軋みはじめませんか?

頭の中がざわざわして何かを破壊したい衝動に駆られたりしていませんか?

もう、思い出す必要はないんです。

現在と未来のことを考えていきましょう。

すぐにはきっと無理で、習慣となってしまった思考はなかなか変えられないと思います。

でも、確実に、あなたは変わっていけます。

忘れることは許すことじゃありません。

あなたのために、記憶から追い出してあなたの人生を歩んであげてください。

そして幸せになってください。

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